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思いつきと気まぐれが良い響き。だからといって自由なわけでもないけれど。

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関ケ原駅ハイ、真っ暗。

寂しいモンですよ……、おいしいお米の取れる所だからさー、山間の田園風景を、風景を~~、狙ってたのに、

時間切れでした。

日も短くなっちゃって、まあ。暗くなるのもあっという間ですね。悔しいから辛うじて光のある所を写そうと思ったら、駅しかありませんでしたよあとはコンビニくらいのものですよ。

因みにここまでの行程は車移動。ここからは電車移動で帰宅。

しかし夜の山が耳がおかしくなるくらい静かだってのは誰が言ったのかね?秋の虫たちのオーケストラで賑わってましたよ。

こういう場所に来ると人間は『主役』じゃないし、自然との関係を考えさせられるなあ。育った実家も同じような田舎だけどね。

京都や大阪の駅周辺の明るさを見て今更ながら、

都会だなあ。

と感じた今回の日記、狙い通りに行かないのがこれもまた人生なんて呟きながら、旅ブログへの転身を図った思惑は撃沈。

またいつものわけわからんスタイルに戻りますが今後とも宜しく。

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名神 養老SAにてえー、静かの街、飯田より一旦中央道を南下して愛知入り。そのまま名神高速道路を岐阜、滋賀の県境にある養老サービスエリアまで一気に移動。

ここでも天候さえ良かったら、養老山地の風景を写しておきたかったんだけど、一向に晴れ間は見えない。

替りにと言っちゃあなんだけど、何だか迷彩の集団が居ますよ。

本格的なサバイバルゲームですね。

……んなこたぁない。(タモリ風、いや最早コージー富田風)。

最初自衛隊かと思ったけどやたらと色白で金髪の方がいらっしゃいますね……。ああ、星条旗が。ぎぶみーちょこれーと。

アメリカンオブユーナイテッドステイツのアーミーでしたよ。

ここは沖縄ですか?横須賀ですか?

お近づきになるのはとても勇気が居るので、デジカメのズーム機能を初めて使いましたよ。パチッとな。

もっと風情のある旅行記になるはずだったのに(汗)。嫌な予感を感じさせつつ今回の最終地点、岐阜県の関ケ原はもう目の前。

長野県飯田市近郊長野県飯田市。

飯田駅の近くに行って来ました。

……静かですね。

人通りが全く無いっす~。

生憎の天候で空はどんより。遠くには山々が聳える良い景色なんだけど、残念。

うーん、中々書くネタがないなぁ……。えー美しい景色や観光案内等はこちらに任せるとして、岐阜県養老サービスエリアに続く。

長野、岐阜の旅、詳細は明日UPします。

シロクロマンネリズム『あなたの人生は楽しいですか?』

人生が楽しいと答える人は今の現状に明確な不満を挙げることが出来るようだ。あまり楽しいとは言えないと答える人に「それは何故ですか?」と問いかけてみてもハッキリとした回答は無くて、総じて「何となく……」といったぼんやりした答えが返ってくるだけで、その「つまらない日常」をどうしたら良いかは他人が考えることで、自分の責任では無いという事になるらしい。

この話を知ったのがいつだったかは忘れてしまったけれど、その時「ああ、成程な」と妙に納得したことは憶えている。

楽しいか否かは常に、何かとの比較によって評価されるもので、「楽しんでいる人」からすれば楽しくない事への意識が常にあって、「もっとこうなれば楽しいのにな」と思うものらしく、楽しくない今を生きている人にとっては常に周りの環境はうんざりする様な色をしていて、何か一部分がダメなわけではなくて、強いて言うなら全部ダメという結論に行き着くようだ。

取り立てて不満も無く、声高に叫ぶ主張があるわけでもない平和な人生は倦怠感と共に歩まなくてはならないようで、それは生物にとってストレス以外の何者でも有り得ないと。

過去の歴史を見てみても、かの有名な独裁者が民主主義の手続きを経て、国民の総意の下に民族主義を打ち出した時も、停滞感、そして漠然とした将来への不安感が世間に蔓延していた時に起こった出来事だ。それは虐げられた人々にとってはただの大迷惑で、悪に対する正義の報いと言うような話では全然無くて、その証拠にその後に至って振り返った時に「どうしてあんなことになってしまったんだろう」そんな感じで何処か他人事のような曖昧な感覚でしか受け止められないものになってしまった気がする。勿論、2度と起こさないようにと堅く誓った歴史への懺悔があるのは間違いないんだけれど、同じ事を繰り返してきたのが歴史であり、「その事実から目を背けないですべての人が対峙する」それはそれで狂気を感じると言うか不自然なことだったりすると思う。

特に不満も無く人生を過ごす事は少しずつ濃度の上がってきている密閉空間の様で、そこに外部からの新鮮な空気が入ってきた時の反動は蓄積された時間に比例して、劇的なものになるから、それは嫌だから、時々は見たくないものでも触れて行こうと歩いてみても、つまるところそれも「我慢」だろ。自然体で心を開かないと、「前向きな何か」には出会えないだろ?

残された道は確信犯で、意識的に「全開で逃亡する」と言う手段であり、臆病な人間でも何かを生む行為になり得るかもしれない、ということで、自分の生き方を強引に肯定しながら終文。

(歴史的な考察も甘すぎるっつーの)
(臆病者の知識はそんなモン、ということで)

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