まだ親の金を使って生活を送り、それが自然だと思っていた高校生の時、授業中に考えていたのは目の前の黒板についてじゃなく、午前中なら昼休みの事を、午後には終わってからの予定を(選択していた美術がある日はその事を)。ほんの少しの未来を先取りしていた。
しかしそれは未来に役立つかといえばそんなことは無くて、終わってしまった授業内容をちゃんと受けていないせいで過去の失態に振り回されることにしかならないという、「ああ、なんで解っているのに出来ねーんだろうな――でも何とかなるからいいか」根拠の無いそれこそ、夢想でしかないものに頼っていた。
宿題を沢山貯めても、課題を後回しにしてもそれは結局自分の責任で、周りは第三者だったから、無気力な時の僕が悔い改める事も無く。
社会人になって、仕事をすると、どんな仕事でも会社全体から見れば共同作業の一環なので、毎日宿題は尽きる事が無いんだけど、生活に係わる強制力はのんびりして構えるわけにもいかずに、まあ、その場凌ぎでこなしているだけなんだろうけど、やれば出来るもんだかね、出来てないかもしれないけれど。
そんな人間がどこに着地するか。
本当はすでに解っている。未来がどうなるかは想像の範囲からは超えない自信があるんだな、コレが。
(楽観的並びに悲観的で、おまけに自信過剰でもあるな)
(ルーズなコントロールで裏打ちのリズムにおける未来予測は守備範囲が広いのさ、コレが)
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