別の人格を書き手にしたブログを綴っているつもりはないけれど、ここで表している気持ちは、対人とは「隠す感情」と「隠さない感情」のバランスが明らかに違う。
文章を書くのには考える時間の余裕があるし、書き直しも出来る。自分の能力以上のものは出ないけれど、結果に納得しやすい行為だ。
だけどその都度アドリブを求められる人生には、あんなことしなきゃよかったとか恥ずかしく思ったり、あそこでこうすればまったく違う人生になっていただとか言い訳じみた思いに直面することが多々ある。「反省」は未来につながる礎になっても「後悔」は酒の肴くらいにしかならない(そもそも僕は酒をあんまり飲まない)と考えているけど、ニュアンスの問題はさておき、終わってしまったことに振り回されるのはそれが、損得に直結しているからだろう。
ここに何万文字の文章を連ねても生活費の足しにはならないが、仕事上では一秒の判断が豊かな老後を保障してくれる可能性もあるわけで。別に人生をギャンブルにしたくはないが、それは間違ってはいないと思う。ただしその一秒の内容は膨大な過去の時間によって作られた自分の力によって決定されるもので、合格発表を見に行く、確認作業のようなものでしかない。
そういや大学の話をすれば僕は現代文一教科の受験で入ったんだった。受験勉強というものに無縁な生活を送って3年間過ごした後の3学期になって、正直適当に選んだ5校くらいかな、受けた中で先生にも「まあ受けたいんならやれば」と言われた学校。僕の3教科総合の偏差値ではとても無理な話のところだったけど、なんだか受かってしまって「がんばって入った人に申し訳ないな」と思ったのを覚えている。
そして高校時代の3年間はあまり本を読まなかったせいもあって、それだけを取ってみれば多分、中学時代に受けていたらもっと余裕で合格したんじゃないかなとほぼ確信をもって言える。勉強に関していえば何ら得ることのない高校の3年間だったという結果(汗)。
この話の流れで大学の名前を伏せるのは卑怯なので書いておく。
桃山学院大学(青山ではありません)
に入ったはいいけど、卒業に5年間かかるという罠。ここ最近まで時々、朝起きた時に「ハッッ!!ガッコウ行かなきゃ単位が取れない!!やばいやばいよ」という悪夢のオマケ付でした(笑)。楽をして得たものには価値を感じられないんだろう、あまり学校行かなかったから。
レベルの低い話ですけどね、国語、英語、数学3教科の平均偏差値が40ちょっとしか無かった(↑の大学は合格ライン50くらいだったと思う)僕には「なんでここにいるのかなぁ?もっと自分は違う場所にいるべきなのに」となーんか変な気持ちを引きずったままで過ごしていた悪い見本。あの時代が僕の方向性を決定付けたなと。4+1年の時間は得るものも多かったと思いますが。
まあ今回言いたいのは4年で卒業できるものはしっかりと4年で卒業したほうが悪夢にうなされないですむよ!っていうそれだけの話(笑)。
(負担をかけた親にはホント、申し訳ないっス)
(社会人になっても夢に見るってのは、チト、つらいよ)
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