例えば美人で我が道を突き進んで周りを巻き込むようなカリスマがいたとする。
行う行為は正義でも悪でもどっちでもいい。とにかく派手なお祭り騒ぎだ。
そして地味で、そのくせ鋭い突っ込み役がため息の一つでも吐いてみせる。
それが始まり。
例えば探偵が殺人事件に巻き込まれる。
それで始まる。
――ノンフィクションよりフィクション、その中でも小説と呼ばれる大きな括りのジャンルが好きで、それは小学生の頃から変わってないけれど、時間が経つと「どーして好きなの」とかそういう理由について、何だかんだとこじつけてしまう。
答えは一応出ていて、フィクションを作るのは書く人の「作るんだ」っていう意欲が感じられて好き。
ノンフィクションは「作る」んじゃなくて「見つける」という作業がその作品の価値を決定していると思うけれど、僕の現実は自分の周りだけで精一杯というか。
ただそこにあるだけの現実とフィクションを比べるのに無理があるような気がするけれど、圧倒的に多数を占める事実の洪水に、文章を組み合わせているだけで、もしかしてぐるぐる同じ場所を回ってるんじゃないかとも思う虚構であっても、放り出された殺伐とした事実を人間が苦労して「なんとか納得する気持ちになる」所まで持っていくのはノンフィクションからフィクションを作る、そんな試みかもしれないわけで。
そういう風に考えると、目の前のケーキを食べる行為はノンフィクションだが、その時感じた感想はフィクションであって、えーと、世界はノンフィクションで満ちているけれど、人間の頭の中は印象とか、感想とかそういうものが大半を占めていて行動を決めていたりして、世界とは逆にフィクションで満ちているのが人間の頭の中だったとしたらなんだか、生命は日々、世界という現実と戦ってるのかもなーと。僕はそれを少しロマンチックな事だと思う。自分の殻に閉じこもってるとも言えるけど。
冒頭に書いたような設定で、似たような小説は沢山ありますがト書きじゃ内容の質についてまでは解らない事が多いから全部読んでから判断しなきゃ納得できない、と決めてますがそんな事してたら触れる事の出来る作品は限られすぎてしまうので友人の薦めとかブックオフの100円コーナーで出会った本との直感を信じて出来るだけ幅広く、と心掛けてる今日この頃。
(読んだ作品がお前の文章に活かされればいいけどな)
(改悪、ってのは簡単だよ……)
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