もう無くしてしまったけれど、ちょっと高級なシャーペンとボールペンが使い分けられるやつをクリスマスに親から貰った時はとても嬉しかった。
意味も無くノートに書いたりして(決して勉強をしたわけじゃないのがポイントだ(^_^;)。
えーと、そんなことを時々思い出すけど、社会人になって給料貰う身になった今も物欲は人並みにあるんだが、あの当時の情熱には及ばないなぁと。
「ファミコン欲しい」としつこく、恥も外聞も無く泣きじゃくってせがんだ気持ちに匹敵するものはないのが実感としてある。
僕はまだ子供がいないけれど、百貨店でぬいぐるみでもお菓子でも虫キングでもなんだっていいけど、わんわん泣きながらごねている〝その情熱〟は、たとえそれが愚かで狭い視野に基づいたものであっても、今の僕には適わないと思うんですよ、ねぇ?
それを忘れないでおこうと。それを知っているけど「買ってやんない」って言えるようにありたいと。意地悪な気持ちではなくて。
そして〝その情熱〟を持ち続けた大人が栄光でも破滅でもとにかく、なんかこう――ハッキリしたもの、を手に入れるのかもしれないなと、まあここら辺から後は文章にもならない感情が続きそうなので限界。
(その投げやりな態度が建設的な明日を生まねーんだよって――まあ、解ってるのに出来ないってのが一番始末が悪いよ)
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