当事者でありながら、生きる方向として「全力で逃げる」という後ろ向きも突き詰めれば前に転がりだすんじゃねえか?と思う自分からすると、色々あーだこーだ言ってる最中に巻き込まれた場合にどうしても冷めてしまう。
それで親子喧嘩なわけですよ。今回の案件は家を買うだどーだの話で、まあ人生の一大イベントなのは認める。いやもう地面にひれ伏して認める。
まず買う、買わないの時点で今後の生き方も変わってくるような大きな事態の筈なのにそこで話し合う当事者は感情論ありきで物事を進めている。それは多分に政治的(嫌いな表現だ)っつーか、ただの与える側と受け取る側がその権利を主張しあって噛み合わなくて尚且つ両者の間柄が親子。もうね、最初から上手くまとまるワケない。その「最初から上手くまとまらない」その動かない事実を前提にした上での覚悟が話を何とかかんとか前に進めるための推進力になるんじゃないのかね、と思ったり感想を述べたりしてみるんだけど伝わらないね。
解決の糸口?キーワードは「ナアナア」。決定意見のエネルギーがいくらあっても方向がずれているなら最終的な進路の舵取りは傍観者に委ねられるのかも。んで結局誰が満足するんだ、それは?
こんなのは始まりの時点から不毛だ。
完全に人のせいにするけど、そんなの見せ続けられたら僕はもっと、さらに無気力な頷く為だけの存在に徹底してやろうかと思う。
PR