今回は画像は無しで。
僕は誰かが「多くの人に」向けて作られた作品が好きだ。そこには伝えたい思いであり何なりが「作品」という形に反映されて、受け取り側の勝手な解釈で育っても行き、枯れても行く過程に心惹かれるからかもしれない。
エンターテイメントの土俵に上った以上、それは牛耳られ、消費され、作り手の意図とは関係無い所にそれなりの答えを見出すしか出来ないけれど、何も考えなくても誰しも琴線に触れるモノには人生の中で出会うことになる。それは個人的な経験であったり、憧れという名のコンプレックスだったり、自分のルーツにその根底を成す物でしか有り得ない。人は連想できないものに共感できるほど超越した存在ではないからだ。少なくとも僕には自分自身の「今」にしか感じる能力は備わっていない。
音楽でも映画でも小説でもマンガでも、他の事は後回しにして構わないでくれないか、邪魔をしないでくれないか。そんな気分になることが時々あるけれど、その時間は僕にとって贅沢。お金を生むわけでもないし、傍から見たら時間の無駄遣いに見えても、生きる糧として栄養になってくれている。
何を感じるにしても、自分が感じられる範囲は周りの事柄だけ。言い換えれば僕にとっての《世界》がその対象になるわけで、そりゃ~随分と大層な話だな。あんまし「こっからここまで」のような範囲を区切って考えられるようなレベルの高い思考回路は残念ながら僕には無いみたい。
え?それって、生きてること自体がエンターテイメントってこと?ただの自堕落で命の尊さも解って無い最低人間だってこと?
いやいや、何とかはぐれてしまわない様に努力はしてますよ、これでも。普通に生きるのだって日々の精進ですよ。うまくやれているかどうかは周りの皆さんにお任せして、無責任な性格はえーっと、こちらへどうぞ。じゃあそこら辺でおとなしくしてて下さい。
タイトルだけ決めて突っ走ってもロクな文章にしかならないな……。まあエンターテイメントはいつでも君の側に在る!ってことで強引に完結。
でも命の尊さについて未だに理解出来ていないのは本当の話。
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