うーん。よく心の充電とか何とか言いまして、どっかに行ったり休みを取ったりするのは結構大事な事だとやら、まあ、そういうのがありますが実際心の充電機械はどこにあるのやら。メーカーが違えば何だか上手く接続できない携帯電話のジャックの様にカトリーヌとは愛を育めないわけで、隣の方々が羨ましく思えたり。僕はいつも暇さえあればダラダラしているので生まれてこの方、充電しっぱなしなはずなのにフルパワーのマッチョでは無く、いつもあちこちで断線を繰り返しているような。それって勿体無いな、と思いながらもパワーのコントロールに四苦八苦している現状に甘えてみたりするのはまあその――なんだかね、単純に『ノーコン』といえば良いのかね?制御する努力をせずにピタリと嵌った時のイメージのみで満足してるのはお前、現実的じゃないだろ。
そんな時に「甘いこと考えてないで現実を見なさい」と叱られたりする。これまでそれなりの時間、人生を歩んできた人なら思い当たる節があるような耳タコなパターン。現実を見なさいってのはこれはこれで生きるためのヒントというか確信を突いたハッとさせられるものがあるんだが、多くの場合それは「諦めなさい」という抑制の意味を持って僕たちの前に立ちはだかるような。あーそういうんじゃないんだよ、今言って欲しいのは。もっとさ、これは出来てないから出来るようにならないとただ失敗だけだよ、とかそんな厳しい言葉を待っているんだよ。投げやりの悲観論じゃなく。そんなコーチがいたら僕も何か達成できるのになあ。と嘆いてみたり。
えーと、他人への妄信によって自分の人生を決めてしまうのは大体ぐだぐだになってしまうので、程々に他力を頼りましょう。今考えれば担任の先生の言ってた事、無茶苦茶だったりするからねぇ。純粋な僕は高校まで『一皮剥ける』の意味、エロ熟語だと思ってましたから。
(上げたり下げたり何が言いたい)
(無神論者にも信仰は在るってことをだな……いや、止めとく)
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