50年前に予想した21世紀の技術進歩は4割が叶い、6割が外れたらしい。
そのある意味平和で無責任な、だからこそ前進の力になる「希望」だとも思うのだが、それはそれとして皆さん、こんな風に思ってはいないだろーか?
「描いた理想像はこんな〝現実感溢れる〟ただの〝今現在〟じゃねー」
と。
うまくいかない人生や、どうしてうまくいかないのか解らないもどかしさが僕にはあって、実際無責任ばっかじゃいられねーな、とは思う。夢とか希望とか、そんな楽しみを自分で否定しているんだよなぁ。でもそれは決して一人だけの事じゃないような気もしている。ホントはすげー事なのに生活を潤す魔法ではないから、とかまあ、携帯電話もタイムマシンもビジネスになれば同じものに成り下がるというか成り上がるというか。
だが「叶った」のは紛れも無い事実で。子供の頃に描いた将来の夢は10コのうち四コ叶ってるのかよって考えれば結構なかなかどうして、4割ってのは評価されるべき数字なのかもしれない。それを実感できないのはつまり、どんなにアクセルを踏んでスピードを上げても、周りの〝景色〟は消えないから、その移り変わりが味気の無い現実というブレーキを生み出すのかもしれない。瞬間移動したら夢とか理想だけを受け取れるんじゃねーの?――仮定の話でも印象として、現実に昇華されていない夢は扱いきれない空しさがあるだけのような気がする。
一方で夜空を見上げてみれば、その体系が作られた当時より格段に見えにくくなった星の神秘は、例えば恋愛に悩んだりした時の支えであり続けていたりと、ちぐはぐではある。しかしそれがある限り、夢や希望は失われず、「知らないものを知りたい」気持ちはロマンチックな感情でいられるんだろう。そう、正座の形が変わるほどの遠い未来においても。
(その前に自分の今の問題と向き合えって)
(関わらない方がみんな幸せになれる事もある、かも)
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