今日も今日とて役立ちもしない気持ちを同じ場所でグルグル回している。
寒さも和らいできて、春の兆しを職場の花粉症の人から感じるけれどまあ、あんまり良い表現でもないな(笑)。雨の降る中、街の明かりは綺麗だけど地面に浮いた泥は嫌なものです。あと雨上がりはヘルメットが曇るのが難点(GP-5Xはシールド分厚い分曇りが取れるのに時間がかかる気がする)。
視力が悪くなってから、雨が嫌いになった。社会人になってからは昔はあんなに嬉しかった雪も、困ったもんだと思うように――それは僕が置かれる環境が変化したからに違いないんだけど、自然に対する自分ってのはいつも勝手だな。別に雨や雪から「おまえ、俺たちは同じ事やってるのに好きになったり嫌いになってんじゃねえよ」とか言われたわけじゃないので、格が違うっつーかまあ、張り合う相手でもないというか。押しても引いても相手が変わることが無いなら、問題は自分の中にしかなくなってしまう。
夜景は綺麗なものということになっていて、僕もそう思うけれど、エネルギー問題がどうしたとか取り組んでいる人からしたらその光景を苦虫を噛み潰したような顔で見ているのかもしれないし、どんなに綺麗な遠景でも近づく程に色褪せるのはどうしてだろう?
それはきっと「キレイ」という概念が、こんな言い方は極端かもしれないが「毒にも薬にもならない」。そして自分の安全を脅かすものであってはいけないから、というか。恋は盲目、とかもあるけれどキレイと思うものとの距離は、その対象と自分は、具体的にでも心の中ででもとにかく、それが美しいと思っている限りいつまでも近づけないんじゃないか?……それが虚しい事だとかじゃなく、えーと、適度な距離を置いたその絶妙な間合いが大切なんじゃないかと。それが崩れた時にはもう、良くも悪くも別の何かに変わってしまうんだろうなー、って話。何に変わるのかは本人次第でお任せしますと逃げてみる。
あなたの目の前に愛しい誰かが居たとして、「キレイだな」と思うならもうそれだけで幸せかもしれません。ただの誤解なら、それを見ないように顔を背けている自分こそ、褒めてねって思うべきです。誰に言ってるのかいつも通り曖昧だけど、僕が本質を掴まえていないことが問題だから仕方無い、と慰めながら自分勝手に後片付け。
(相変わらず読み手に頼った内容だな、おい)
(ほら、〝美しき誤解〟ってのもあるし……ね)
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