2.
「お前も飲んだらどうだ?めったに手に入らない逸品だぞ」
「そんな高尚な舌は持ってないよ。――それより、こんな場所でする話ってのは一体どういうものなんだ、一(かぎり)じいさん」
「つまらない人生だな、儂は今でも酒の席で国を動かしたりもするが――誰に似たのかの。……まあいい、此れといって意味は無いが、頭の固いお前に柔らかい話をするにはとっておきに柔らかい場所で、と思ってな、ふふ」
「国を動かすって言うのが誇張でもなんでもない所が始末に負えないが、発想はセクハラおやじと変わらんな、相手を間違ってるけど」
上機嫌を隠さない相手に、しょうがないな、という表情で赤いソファにゆったりと構える一と呼んだ老人を見つめるのは20台後半くらいのごく普通風貌の青年で、部屋にはその2人きりだ。ホテルの一室なのだが、間接照明のみで妙に薄暗い。男が立っているのは入り口のドアの前だが、向かって右手には黒魔術の儀式にでも使いそうな燭台に囲まれた人一人横になれる程の白塗りの台座が設置してあり、左手の老人が座るソファの後方には鉄格子で仕切られた空間がある。中には鎖や磔の十字架、壁に掛かっている凝った装飾の鞭だとか、それなりの設備が整えられている。見た目が〝それなり〟であって只の雰囲気作りの為なのは、突起物など危険なデザインが排除されている事で解る。
青年は正面に位置する縦にでも横にでも寝られそうなサイズのベッドを見るともなしに、
「久しぶりのラブホテルの相手が一(かぎり)じいさんとはね」とため息を吐いた。
「お、気に入ってくれたようだの、嬉しいぞ」
本気で楽しんでいる口調で老人はにこやかに笑う。
勿論2人ともバスローブ姿ではない。〝場違いな〟スーツ姿である。
「そんな話はいいよ。本題に入って欲しいんだけど」
迷惑そうな態度をそのまま隠さない青年だが、そこに険悪な空気は生まれない。くたびれた青年のスーツが何十着も買えそうな、それと解るオーダーメイドのものに身を包んだ老人とではすれ違う事すらないような圧倒的な社会的地位の差を窺わせるが、それでもこの2人にはそういうものは入り込まない。
「儂は回りくどい事が嫌いだ。しかし今やお前だけだぞ?他愛の無い会話を楽しまさせてくれる相手は。この老いぼれに構う優しさもないとは、相変わらず冷たいやつじゃの」
「現役バリバリの人間に言われたくは無いね。その隠し切れない威圧感が大人しくなるときが来たら、考えるよ」
「そればかりは無意識の産物だからの、儂がどうにか出来る問題でもないが……前に立つ人間の課題だな、それは」
老人はそう言うと厳しい顔になって男を見据えた。眼光は鋭く、どんな背徳の行為でも捻じ曲げて、押し潰して正しい事にしてしまうような、只そこに居るだけの圧倒的な存在感――おそらくこれがこの老人の普段の姿――。
「儂の財産は一切受け取れんと言うのか」
「勘弁して欲しいな」
大抵の人間が硬直して何も話せなくなる程の鋭い眼光に睨まれながら、男はさっきまでと変わらない表情のままで、即答した。
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