「行動が思想を決定する」とかさ。
物は言いようですね。まあなんつーか、お腹が空くからご飯を食べるのは思想を決定しているような気もするかなあ。 さて、空想は何によって決定されているんだろうな? 夢を見るのは眠っている時だけじゃないけど、それって単純に睡眠不足っていうあっけない事なのかもしれない。眠るだけじゃ足りないとかね。
アインシュタインの言葉に「どうして本に書いてあることを憶えなければいけないんだ?」そーゆー風ことを言ったとかあるけど、大概のことは簡単に調べることができる今の世の中で新しいことを始めるのは、思いついたアイデアを、過去に申請された例がないかどうか一から調べなおすようなもので、本の中身は知らなくても、どこにあって、いつ必要なのか解ってないといけない。 そんなの無理だよって?誰か一人でもいいんだ。生きているという多様性が可能性を生むんだから。
人生はそれ自体が博打だとかそういう意見もありますが、結構残酷な言い方だとも思う。
いやいやギャンブルにはワクワクするような響きがあって未来を感じさせるから好き、と思ったあなた、それは正解です。新しいものときっと、出会えると思うな。リスクなんて要らないと、守ることこそ確実だと思っているあなた、それは正解です。どうやって守ったら良いかなんて根っこの真実を捕まえることは出来ないから、あなたのその「守り」の姿勢は積極的なものになるはず。なんてねえ。
えらそーに言ってる僕に関して確実に言えることは、思想は人生の残飯みたいなものだと思っていて、そしてその残飯が結構おいしくて好きだなあと。しかし例えば授業中に「どうして書いてあることを憶えるひつようがあるの?」とでもしつこく言おうものなら生徒指導室行きになりそうなので、学生の方は辞めましょう。 おじいさんになってから言うのが安全だな!(笑)。
(普遍的な絶対の真理とかそんなもんはねえよ、と思います、ええ)
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