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思いつきと気まぐれが良い響き。だからといって自由なわけでもないけれど。

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昔から集中力が足りない。誤字の多い事甚だしい僕は、自分でも認めざるを得ない。

なんでなんだろうなあ?契約関係の大事な書類でもやってしまうから困ったものだ。気をつけているんだけど、次書く文字を書いてしまったりして。

( -.-)ノ⌒-~ポイッ、ですよ。

社会人としての適正がないのかもね。誤魔化すことばかり覚えてしまって、成長していないのは歯がゆい気持ちになる。僕は決して選ばれた人間ではないので400万の年収が欲しいなら、600万の仕事をするつもりで取り組まないといけないんだろう。望まない札束が降って来る事は、ありませんよ。

だからといって自信がないとかそんなわけでもなく、根拠のないものはいつも僕の真ん中にある。つっかえ棒のように、倒れそうになる時に支えてくれるのはそういう、いーんだかわるいんだかの形を持たないからっぽだ。例えばそこを覗き込んでも何も見つからないような。

何かを成し遂げた記憶があれば少しは違うかもしれないが、残念ながらそんなものはねーよ、と言い切ってしまうことにする。そもそもそういう達成感が欲しいのかどうかも解らないのだ。歳を重ねれば見えてくるわけじゃーなさそうなので、つらつらと歩けばいいか?

そして時々、なにもない自分の真ん中から見た景色に流れ星の一つでも見ることが出来たなら、それで眠れるだろう。とまあ、タイトルとも集中力とも関係の無い着地点にたどり着いて終わり。

(落としておいて最後、自己肯定でまとめるってのは病気だな)
(ま、まあみんな心の中はホームシックで出来ている、かも知れないし)

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もう駄目かもわからんね。

過去に戻っていくことを止められない。昔はもうちょっとマシだったんじゃないかって、まだ確信をもって機能していたんだろうって。

さて、皆さんはエコロジーと聞いて真っ先に思い浮かべる色は何だろうか?吉野家でいつもカレーを食べる私の非常に素直な心はやはり「緑」を連想する。緑と言えばもうそれはライムグリーンであり、ライムグリーンと言えば「カワサキ」であり、更に言えばバッタ色のモーターサイクルの事である。バッタと言えば「バッタもん」という、あまりありがたくない意味に使われたりもするが、カワサキはこの、ホンダやヤマハやスズキが採用しようものなら漏れなく不人気車種行きのカラーを頑固に守り、育てている。緑の草原ではさぞかし高い迷彩効果を発揮することだろう。

学生の頃、初めてのモーターサイクルを購入しようと本屋に行きカタログのZRXローソンレプリカを見たときには、こんな変質的なカラーリングが許されていいものだろうかと腰を抜かした覚えがある。結局、隣のページに載っていたKSR80に惚れ込み(赤色で紹介されていた)、外装を黒に変えて乗っていたのだが、人間の心理とは欲深いもので一週間後には次のモーターサイクルを品定めする私がいた。情報はもっぱらカタログとの対話によって得ていたので、繰り返し見ているとあのライムグリーンが気になって仕方がなくなってくるのである。その上カッコ良くて仕方がないとまで思うようになってきた。当時の投げやりな心理状態が安らぎを求めていたからかどうかは定かではないが、私はワナにはまったと感じた。非バイク乗り、いやカワサキというメーカーを好ましく思っているライダーの中でさえ限られたものだけが賞賛する少数派の、少数民族の仲間入りをしたのだなと。

今日も今日とて役立ちもしない気持ちを同じ場所でグルグル回している。

寒さも和らいできて、春の兆しを職場の花粉症の人から感じるけれどまあ、あんまり良い表現でもないな(笑)。雨の降る中、街の明かりは綺麗だけど地面に浮いた泥は嫌なものです。あと雨上がりはヘルメットが曇るのが難点(GP-5Xはシールド分厚い分曇りが取れるのに時間がかかる気がする)。

視力が悪くなってから、雨が嫌いになった。社会人になってからは昔はあんなに嬉しかった雪も、困ったもんだと思うように――それは僕が置かれる環境が変化したからに違いないんだけど、自然に対する自分ってのはいつも勝手だな。別に雨や雪から「おまえ、俺たちは同じ事やってるのに好きになったり嫌いになってんじゃねえよ」とか言われたわけじゃないので、格が違うっつーかまあ、張り合う相手でもないというか。押しても引いても相手が変わることが無いなら、問題は自分の中にしかなくなってしまう。

夜景は綺麗なものということになっていて、僕もそう思うけれど、エネルギー問題がどうしたとか取り組んでいる人からしたらその光景を苦虫を噛み潰したような顔で見ているのかもしれないし、どんなに綺麗な遠景でも近づく程に色褪せるのはどうしてだろう?

それはきっと「キレイ」という概念が、こんな言い方は極端かもしれないが「毒にも薬にもならない」。そして自分の安全を脅かすものであってはいけないから、というか。恋は盲目、とかもあるけれどキレイと思うものとの距離は、その対象と自分は、具体的にでも心の中ででもとにかく、それが美しいと思っている限りいつまでも近づけないんじゃないか?……それが虚しい事だとかじゃなく、えーと、適度な距離を置いたその絶妙な間合いが大切なんじゃないかと。それが崩れた時にはもう、良くも悪くも別の何かに変わってしまうんだろうなー、って話。何に変わるのかは本人次第でお任せしますと逃げてみる。

あなたの目の前に愛しい誰かが居たとして、「キレイだな」と思うならもうそれだけで幸せかもしれません。ただの誤解なら、それを見ないように顔を背けている自分こそ、褒めてねって思うべきです。誰に言ってるのかいつも通り曖昧だけど、僕が本質を掴まえていないことが問題だから仕方無い、と慰めながら自分勝手に後片付け。

(相変わらず読み手に頼った内容だな、おい)
(ほら、〝美しき誤解〟ってのもあるし……ね)

灯りは遠くまで、進むべき道も分からないほど多く。新しい環境に身を置いたとき、始めにするのはお店を探す事。これまで3回引越しをしたけれど(大学入学、社会人、そして結婚)、見知らぬ土地の自分が住んでいる中心点から見渡しただけじゃ解らない、どんな楽しい世界が広がっているのかを知るための冒険。

最適なのは歩く事。スピードを落としてゆっくりと。範囲を広げるなら自転車が良い。少し遠出をしても、道に迷っても心に余裕があるから。

昼に出かけて夜は自室で今度の予定を考える。違う方向に行ってみようか、もう少し足を伸ばしてみようか?

強制的なイベントは発生しない、リアルなRPG。裏山を探検していた昔の僕と、基本的には何も変わってないんだなあ。小学生の頃に想像したのは、昔の記憶も無いような、全く違う人間のような大人だったけれど、見た目ほど中身は変わらないんだよって、昔の自分に言ってあげたらガッカリするだろうか、安心するだろうか?

(ずいぶん詩的じゃねーか)
(そういうところが変わってない……のが良いのかどうか……)

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