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思いつきと気まぐれが良い響き。だからといって自由なわけでもないけれど。

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木陰でポーズを決める男 ※画像は内容と関係ありませんが、拡大していただくと木に手をついてかっこいいポーズでこちらを見つめるダンディなお方がイラッシャイマスよ~( ̄□ ̄;)!!

 

最近、資産運用とかリスクマネジメントとか、一般家庭では余剰資金→貯蓄といったデフォルトの流れを変える動きを感じるけれど、僕としてはどうしたものかと悩む問題でして。

 デフレだ、デフレだと騒がれた時期が逆に、ある程度安定した経済社会のモデルにおいては、緩やかなインフレが起こるのが通常であるからして、タンスにしまおうが銀行に預けようが、どちらにせよ元本割れしつづける行動という知識を広める事に貢献したようで。 実際に資金を市場に流すかどうかはさておき、貯蓄という行為は「死んだ」金の使い方であるというのは知識としてある。

勿論、いつか使うために貯めているのだが、そうそう人生は思い通りにいかないので、きれいに使いどころに落とし込む作業は困難というか無理、だと考えざるを得ない。 僕にとって貯蓄資金(微々たるモノだけど( ;^^)は精神安定剤として働いてくれているが、何か突発的な費用負担に対応する為のものという考え方をするならば例えば短期的な投資運用に廻すのならば、それ程リスクはないと思われる。

 資産を減らさないように対策を練るという事を意識するのが大切であり、方法はたくさん知っていた方がいいと思うので、なんかやってみようと思いはしますが、それこそ「メンドクサイ」という名の現状維持を愛する僕は一歩踏み出す事が出来ないのでした。

デイトレーディングでも、外貨預金でも、国債を買うのでもなんでもいいですが、やるとなったらそれをチェックし続けなくてはならないので、「楽しむ」少なくとも興味を持たないといけないとは思うのですが、元来、清貧を愛する僕は殺伐とした市場に参入する意欲をイマイチ持てないのでした。

どういったらいーのか、肉は食うけど解体はしたくないとかそんなん?お金に関してあまり近づき過ぎたくないのかもしれない。 そんな事言ってて、このブログに株価情報でも載せた時は気まぐれで投資でも始めてみたということで、ああ……忍耐の無い男が性格的に勝算の薄いことやってるなと思って生暖かく見守ってくださいm(__)m。

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「行動が思想を決定する」とかさ。

物は言いようですね。まあなんつーか、お腹が空くからご飯を食べるのは思想を決定しているような気もするかなあ。 さて、空想は何によって決定されているんだろうな? 夢を見るのは眠っている時だけじゃないけど、それって単純に睡眠不足っていうあっけない事なのかもしれない。眠るだけじゃ足りないとかね。

アインシュタインの言葉に「どうして本に書いてあることを憶えなければいけないんだ?」そーゆー風ことを言ったとかあるけど、大概のことは簡単に調べることができる今の世の中で新しいことを始めるのは、思いついたアイデアを、過去に申請された例がないかどうか一から調べなおすようなもので、本の中身は知らなくても、どこにあって、いつ必要なのか解ってないといけない。 そんなの無理だよって?誰か一人でもいいんだ。生きているという多様性が可能性を生むんだから。

人生はそれ自体が博打だとかそういう意見もありますが、結構残酷な言い方だとも思う。

いやいやギャンブルにはワクワクするような響きがあって未来を感じさせるから好き、と思ったあなた、それは正解です。新しいものときっと、出会えると思うな。リスクなんて要らないと、守ることこそ確実だと思っているあなた、それは正解です。どうやって守ったら良いかなんて根っこの真実を捕まえることは出来ないから、あなたのその「守り」の姿勢は積極的なものになるはず。なんてねえ。

えらそーに言ってる僕に関して確実に言えることは、思想は人生の残飯みたいなものだと思っていて、そしてその残飯が結構おいしくて好きだなあと。しかし例えば授業中に「どうして書いてあることを憶えるひつようがあるの?」とでもしつこく言おうものなら生徒指導室行きになりそうなので、学生の方は辞めましょう。 おじいさんになってから言うのが安全だな!(笑)。

(普遍的な絶対の真理とかそんなもんはねえよ、と思います、ええ)

いやー、最近、書くことを覚えたら、読む方に気持ちが行きまして、本好きなくせに読んでると眠たくなる見事な自堕落っぷりです。

寝転がりながら読むのが悪いんだけど、そうしないと昔からどうしても集中できない。例えば電車の中で立ちながらとか、ただ単に座ってるだけでも、要は「なんか他の事にも対応できる状態」だと駄目なんだよなぁ。寝っ転がってハイハイ抵抗できませんよーっていう「読む」それだけしかできない体勢にならないとだめだっていうのはつまり、僕に集中力が欠けているからだろう。

それでですね、話は変わって(笑)。最近、寒くなってきたので職場でも暖房をつけるようになったんだが、ゴキブリが出るんスよ。一日一回は見かける。そしていらない紙で潰して捨てるのの繰り返し。嫌な感触が残るからどうにかしたいんだけど、ドコから入って来てんのか全然ワカラン(怒)。ビルの外にあるごみ箱に大量発生してるから、外から来てるのは間違いないんだけど、ドアも閉めて入ってこないように気をつけてるのにこいつらはまったくぅぅぅ!きっとビル全体に住み着いているんだ……このゴキブリビルがあ!!!

 ゴキブリホイホイでも設置すればいいのか、と思ってるんだけど、いつかあのネバネバを水の上みたいにスイスイ歩けるように進化したあいつらを想像して怖くなったよ。ゴキブリの適応力を考えれば、本気になればそれ位すぐに出来るようになるんだけど、当面、種としての生存には脅威じゃないのでほっとかれている――そんな印象がある。

危険な相手は他にも色々あるし、あんまし相手にされてないというか。実はゴキブリ駆除に効果的なアイテムなんかはあいつらがただナメてるだけで、眼中にもないとしたら、く・く・悔しい~(涙)。

恐竜の時代からほぼ姿形が変わらず、完成された生き物と聞いたりするけど、そりゃ変わる必要がなかっただけなんだろうな、なんて。進化(変化)に限界もしくは賞味期限があって、変わらないということが実は「終わってる」と同じことなのかもしれないけれど、3億年前のT-REXよりも今の僕のほうがあいつらを脅威に思ってたりするんだろうなっていう、なんとも変な感慨に浸ったところで「人生における成長と種としての進化について」そういうのはおしまい。

(成長に関して一言も触れてないだろ)
(ゴキブリの完成度に敬意を払ってるんだよ。……言ってる本人もわけがわかりません)

うーん。よく心の充電とか何とか言いまして、どっかに行ったり休みを取ったりするのは結構大事な事だとやら、まあ、そういうのがありますが実際心の充電機械はどこにあるのやら。メーカーが違えば何だか上手く接続できない携帯電話のジャックの様にカトリーヌとは愛を育めないわけで、隣の方々が羨ましく思えたり。僕はいつも暇さえあればダラダラしているので生まれてこの方、充電しっぱなしなはずなのにフルパワーのマッチョでは無く、いつもあちこちで断線を繰り返しているような。それって勿体無いな、と思いながらもパワーのコントロールに四苦八苦している現状に甘えてみたりするのはまあその――なんだかね、単純に『ノーコン』といえば良いのかね?制御する努力をせずにピタリと嵌った時のイメージのみで満足してるのはお前、現実的じゃないだろ。

そんな時に「甘いこと考えてないで現実を見なさい」と叱られたりする。これまでそれなりの時間、人生を歩んできた人なら思い当たる節があるような耳タコなパターン。現実を見なさいってのはこれはこれで生きるためのヒントというか確信を突いたハッとさせられるものがあるんだが、多くの場合それは「諦めなさい」という抑制の意味を持って僕たちの前に立ちはだかるような。あーそういうんじゃないんだよ、今言って欲しいのは。もっとさ、これは出来てないから出来るようにならないとただ失敗だけだよ、とかそんな厳しい言葉を待っているんだよ。投げやりの悲観論じゃなく。そんなコーチがいたら僕も何か達成できるのになあ。と嘆いてみたり。

えーと、他人への妄信によって自分の人生を決めてしまうのは大体ぐだぐだになってしまうので、程々に他力を頼りましょう。今考えれば担任の先生の言ってた事、無茶苦茶だったりするからねぇ。純粋な僕は高校まで『一皮剥ける』の意味、エロ熟語だと思ってましたから。

(上げたり下げたり何が言いたい)
(無神論者にも信仰は在るってことをだな……いや、止めとく)

supersonic僕の小学生時代はとても落ち着きの無い子供だった。別に暴れたわけじゃないのに4,5,6年の時は担任の先生(1学年ずつ違う人だった)に毎年親が呼び出されるという不名誉な(笑)記録を残している。

何が問題だったかというと、授業中に勝手に席を立ったりするのはもちろんの事、ずっとしゃべりっぱなしで注意を受けても上の空。先生のお仕事に支障をきたすレベルだったらしい。そりゃあ先生の身になってみれば迷惑この上ない。過去の僕を叱ってやりたい。まだ謝る機会も持てていないし。

これは僕がもう思春期も過ぎて十分に成長してから知ったことだけれど、注意欠陥多動性障害(ADHD)という病名があって、学級崩壊だなんだと騒がれていた時に結構マスコミ関係で取り上げられていた。積極的に自分を病気だとは思いたくは無いけど、客観的に考えて、カル~く当てはまるかな(汗)。

それがどうしたかというと、僕の小学生時代には〝落ち着きの無いやつ〟で決着のついていた問題が、今は“注意欠陥多動性障害の疑いあり”ってことになりかねないわけで、そりゃ随分と落差があるな。もう少し僕が遅く生まれてたら先生に呼び出された後戻ってきた親と共に病院行きだったかもしれない。

僕が変なやつだと主張したいわけでは無くて(変なやつだけど)、こういう出来事は昔から何度も繰り返してきたことで。曖昧に定義されていたことが、名前を付けられたとたんにイメージが一般化され、場合によっては大げさな事になる過程というか。現実の現象は何も変わるわけではないのに。

「これはどう把握すればいいのか?」という研究がもたらした結果が、考えた側としては曖昧なものを解りやすく、対応可能なものにしていくいつも通りの行為であったとしても、それを知らされた人の中で誤解による拡大解釈が生まれるといった、望まない事態になるのはどうしてだろう?

それはきっと、「だからどうしたらいいんだよ?」という問いに対して「コレさえあれば大丈夫!」そんな答えが用意できていないからだろう。「怖くないよ」そのためにはとても解り易い免罪符が必要で、色々な問題に関してその取り組みはまだまだ進行中だと。だからきっと、解決策は間違いなくあって、それは拍子抜けする程に単純なことだったりするのかもしれない。

けれど、分析するために一度解体した砂の城を元通りにするのは難しくて、違う形のものが出来上がったりして。それもまた、遠い話だよなぁ……。砂に気を取られて波に攫われても悔しいので、迷宮入りの事件には手を出さないでおこうと思います、実際。

(〝全然役に立たない事〟ばっかり好きなお前はどういう病気なんだ?)
(そりゃあ――ただの〝あまのじゃく〟で良いんじゃないの)

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