下山潤が自宅の離れにある自分の部屋に入ると、中からテレビの音が聞こえてきた。
一瞬消し忘れたのかと思ったが、誰かがテレビの前に座って何かを手にかちゃかちゃやっているのを見る。
どうやらテレビゲームをしているらしい。
「よう、勝手にやってるぜ」
「それはいいけど、仕事じゃないの?平日だろ。今日」
手提げ鞄とビニール袋を畳の上に置くと、潤は指定席の青い座椅子に座り、ビニール袋の方をごそごそと手で探る。
「今日俺は休みなんだよ。知ってるだろ、俺の仕事。……まあ今は――おっ、腹減ってたんだ、俺にもくれ」
「僕の分も残しといてくれよ」
そいつは、潤が駅前のファーストフード店で買ってきたハンバーガーをビニール袋ごと奪って、もう一つめを口に頬張っている。
それを見ながら潤はずるい、と思った。
「何で本上は食っても太らないんだろうな……」
潤の目の前でハンバーガーをぱくついている本上英和は、どちらかと言えばやせ形の体型だ。そのくせ、潤ほどではないにせよ、よく食う。
「――さあ、そんなの知んねーよ。――遺伝じゃないの。遺伝」
一つめを食べ終わってもいないのに、本上はもう二つめに手を伸ばしている。
それを呆れたように横目で見ながら潤は座椅子から立ち上がった。
「よいしょ。……ほんとに残しといてよ」
そう言って、離れを出て母屋へ向おうとする潤に、
「ジュースあったら持ってきてくれよ」
振り向いた本上が言った。
そうしようと思ってたんだよ、と心の中で思いながら潤は母屋の玄関へ向かう。
別棟があるといっても、下山家は特別広い敷地を持っているわけではない。母屋の横に車庫があり、その後ろに離れがある。中は八畳ほどの畳張りの部屋になっており、潤が高校生になったときに、勉強部屋として当時物置だった小屋を改築したものだ。
二十四歳になる今では、それは潤の城のようなものだった。
母屋の玄関を開けてキッチンに入ると、母親が夕食の仕込みをしていた。
「あら、今帰ったの?」
「うん、さっき。今日はいいよ、僕が作る番だろ」
キッチンの壁にはたくさんの調理用具がかけられている。様々な調味料が棚の上に並び、ガスコンロも業務用の火力の強いものだ。テーブルの上のボウルの中身をこねている母親の手つきも、素人離れした手つきだった。
「ああ、いいのよ、ちょっと試してみたい新作を思いついたから」
潤をふた周りほど小さくした感じでよく似ている母親は、手を休めずに言う。
「またたくさん作りすぎないでよ」
「英和君来てるんでしょ?食べてもらうからいいの」
いつも新メニューの時に作りすぎてしまうのは母さんの困ったところだよな、どうやら今日は確信犯みたいだけど。そう思いながら潤は冷蔵庫を開けて炭酸飲料を取り出す。
「あ、明日なんだけど、潤一人でお願い。急に呼ばれちゃって」
「え、困るよ。母さん居ないとわかんないことも多いし……」
ペットボトルを持って出ていこうとしていた潤は不安そうな顔になる。
「大丈夫よ、自信もってやれば。料理の腕は私より上なんだから」
「そんなこと言ってもさ――」
そのとき玄関の方からなにやらあわてたような足音が聞こえてきた。それは二人のいるキッチンの方へ一直線に向かってくる。
「潤!……あ、こんちわ。あのさ、今車使えるか?」
本上だ。
「いいけど、……いいよね、母さん?」
「ええ、別にこれから使う用事はないけど……どうしたの、英和君?」
やたらと焦っている感じの本上に対して、下山母子はのんびりと対応する。性格的なものもあったが、それよりも二人は本上英和が大げさな人間だという事をよく知っていた。
「あの、落とし物に気づいて、大事なものなんですけど、たぶん昨日公園で、それまではあった記憶があるんで――」
まくし立てる本上の言っていることは断片的だったが、潤は何となく理解した。
「わかったよ。とりあえず落ち着いてよ。車の中で聞くって。……母さん、行って来るから」
「晩御飯までには帰ってきてね。英和君も食べていってね」
母親はというと、たくさん仕込んだ晩御飯の行方を気にしていた。
「だからさ、鞄の中に入れてたんだよ。それがさっき中見たら無いんだよ」
潤が運転する3ナンバーのワゴン車の助手席で本上は説明しているが、感情的になっている彼の説明はどうもわかりにくい。
「何が無くなったの?」
窮屈そうに運転している潤が訊いた。
太ってると困るのは軽自動車を運転できない事よね、とは彼の母親の言葉だ。
「いや、あいつにもらったペアのブレスレットなんだけど、俺普段着けて無くて、ほら、恥ずかしいだろ、そういうの。だからこの鞄の中に入れてたんだけどさ、昨日あいつと喧嘩して、この料理あんまり旨くないなっていっただけだぜ。んでそのまま帰ってきたんだけど、さっき携帯にあいつからかかってきて、まあ、納得いかねーけど謝ったらさ、それはいいんだけど、いつもブレスレット着けてよって言われて、携帯切ってから鞄見たら無いんだよ!今夜会う約束したんだぜ!?」
わかりにくいが、その分思いついたことを全て口にするので大筋は理解できる。かえって複雑になることもあるが、その点、潤は彼とつきあいが長い。
「何であの公園でなくしたってわかるの?」
「そりゃさ、昨日は一日中車の中にいたし、外にいたのは公園にいたときからあいつの家に行って、んで俺んちに帰ったとこまでだし、それに公園で鞄あけてブレスレットを見た記憶があんだよ。それからは鞄開けた記憶ないし、だったら公園だろ?」
一日中車の中に居たって、いったい何をしているんだろう、確か本上はサラリーマンだったよな、と疑問に思ったが、まあいろいろあるんだろう、と思い直して潤は訊く。
「どんなブレスレット?」
ここで少し本上は考える。考えてから言う時は少しまともなので助かる、と潤は思った。
「鈍い銀色でこう、輪っかが繋がってない形をしてんだよ。Cみたいな形で……それに手彫りのエンブレムが張り付けられてて、裏っかわには俺のイニシャルが掘ってある。何が良いのかよくわかんねーけどあれらしい、そう、人気があるんだとよ。なかなか手に入んないらしいんだな、これが」
本上がそのブレスレットを無くしたと言っている場所は、町の中心部にある潤の家から山側に車で十分足らずの所にある海の見える公園らしい。
結構広い公園で、幼稚園の遠足の時に行った記憶があった。いつ以来だろうと潤は思ったが、道順は覚えている。
「結構広いけど、どこら辺でなくしたかわかる?」
車は公園に向かう坂道にさしかかっている。このあたりから家もまばらになり、道幅も狭くなる。
「たぶん外っかわの道の、ベンチが赤色の方のどっかだと思う」
公園の内側の林の中ならお手上げだが、公園を包むように作られている外周道路の付近なら、誰かに持ち去られていなければ見つかるかもしれないと潤は思う。
ただ赤色がどうの、というのは初耳だ。
「え、ベンチが赤色ってどういうこと?」
車は坂道を上りきり、公園の入口で止まる。入口の両脇には【高見公園】と書かれた石柱が立っている。
正面には車が中に入れないように高さ一メートルくらいのポールが等間隔に立っていた。
「ああ、俺も昨日ここ来て驚いたんだけど、結構変わってるぜ、久しぶりに来たら。外灯とかも増えてるし、トイレもきれーになってるしさ。それで、こっから見て右側の道にあるベンチは赤色してんだよ。で、左側は黄色」
「……そうなんだ、知らなかったな」
ドアを開けて車から降りた本上の手には愛用の鞄が握られている。
ビジネスマンが持っているのをよく見かける形のその皮鞄は、私服の黒いジーンズとオレンジのタートルネックにはあまり似合っていない。本上は気に入っているから、いつもその鞄を持ち歩いているんだと潤は思っていた。
しかしそれはブレスレットが中に入っているからなんだろう。
彼女のことを大切にしてるんだな、と本上のことを見直すと同時に、少しうらやましくも感じた。
「あ、お前はいいよ、探さなくても。送ってくれただけで十分だって」
本上はついて行こうとして車から降りた潤に言う。
「でも一人で探すより二人の方がいいだろ?」
もう走っていこうとしていた本上は少し考えて、
「じゃあ左側探してくれ。黄色い方な。たぶん違うと思うけど、行くときそっち通ったしな。あんましマジにやんなくてもいいから。まあ先に広場についたら待っててくれ」
それだけを言うと行ってしまう。
「おーい……」
置いて行かれた潤は仕方がないので左側の道を歩き出す。
決して自分が足手まといで置いて行かれたわけではないとはわかっていたが、少し寂しい気がした。
変なところに気を回す本上は、あまり疲れそうなことに潤を巻き込もうとしない。そのくせ人の迷惑顧みず深夜に離れにやってきたりするし、あつかましいやつだ。
「遠慮するところが違うんだよ……」
一緒に探すつもりだった潤はそれでも気を取り直すと、落ち葉の落ちている土道を端から端まで丹念に探す。助かるのはまだ落ち葉が道に降り積もるほどの時期ではなく、探しやすいということだった。
「あ、ほんとに黄色だ」
ふと見ると本上の言ったとおりベンチは黄色のペンキで塗られている。それ以外にも木で作られたシーソーなどの子供が遊べる器具があった。
潤は久しぶりに来た公園の変わり様に驚いていたが、目的を思い出すと目線を下に移した。
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