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思いつきと気まぐれが良い響き。だからといって自由なわけでもないけれど。

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2-05

 三倉の背中を見えなくなるまでぽかんとした顔で見送った潤は、さっき彼と握手を交わした右手の感触を思い出していた。

 彼の手は不自然なほど温かかった。それがとても意外な気がした。

 どうして意外なのか考えるのだが、はっきりとしない。さっきから同じようなことを繰り返し考えているけれど、これだという答に辿り着けない。

「はー……」

 大きく溜め息を吐くと、緊張を解く。迷路に迷い込んだ頭の中を空っぽにする。そうすると海も空もさらに赤みを増しているのに気が付いた。静かにそれを見ていると自然に他のことも頭の中が考え出す。

 名前も知らない彼女のことや、三倉皓一に言われたことや、見に行ったイベント会場のことなどを全部一度に思い出すと、嬉しいような悲しいような楽しいような複雑な気持ちになった。

(あ、忘れてた)

 この公園に来た理由を思い出し、本上が来ていないか座ったままで広場を見回す。草野球くらいなら出来そうな広さがあるのだが、遮蔽物がないのですぐにそれらしき陰がないことがわかった。潤は本上を探しに行くかどうか考える。

 そのとき、崖の手前の柵の所にいたブレザー姿の学生が振り向いてこちら側に歩いてくるのが視界に入った。広場にはいつの間にか彼以外の姿は見えなくなっていて、自然にその少年に注目してしまう。

 潤は少年がそのまま広場から出ていくものだとばかり思っていた。だが、外周道路の方に向かわずに自分の座っているベンチの方へまっすぐに歩いて来る。逆光で彼の表情はよくわからない。

 無言で近づいて来た少年は潤の2メートルほど前で立ち止まった。遠くから見たときの印象どうり小柄で、身長は160cmほどだ。育ちの良さそうな顔にはまだ少し幼さが残っている。そのくせ、若さを感じさせないという矛盾した印象を潤に与えた。

「な、何か用かな?」

 潤は戸惑いながらも訊く。この年代の少年に何度かからまれたことがあったが、そういう雰囲気はないと思った。それなのに心が冷やされていくような感覚を覚えるのはなぜだろうか。

 少し肩をすくめるような仕草をすると、少年は口を開く。

「存在への執着が薄いんだよ、あの青年は」

 男性というには少し高めのその声は、この少年によく似合っていた。

「え?」

 偉そうな口調はなぜか違和感がなかったが、言っていることは会話として成り立っていない。間抜けな顔で聞き返した潤は変わった人によく会う日だ、と思う。

「体温があるということが不思議なほどに――」

 少年は潤の右手をちらりと見る。

「在る、という温度を感じないのは君の勘違いじゃない」

 その言葉が誰を指しているか思いついた潤は恐る恐る訊いた。

「も、もしかして三倉さんの事を言ってるの?」

 目の前の少年はうなずきもしないし首を振りもしなかった。ただ今度は微かに肩をすくめて、呟くような声で言った。

「もっとも、僕にとっては迷惑な好奇心の持ち主であるというだけでしかないけどね」

 とらえどころのない少年の態度に、気温とは関係ないところで潤は寒気を覚える。理由もなくこいつはとてもたちの悪い奴だ、と思った。

 その時、少年の表情が一変する。これまでとは違うはっきりとした表情だった。

「あー。えーと時間とかわかります?」

 口調も砕けた感じに変わったが、それよりも人それぞれが個人的に持つ特有の空気感まで変わってしまったような急激な変化に潤はついていけずに、ただその少年を見ていることしかできない。

 潤の驚いた顔を気にしている風でもなく、少年はもう一度丁寧に訊き直す。

「携帯とか持ってたら見せてくれません?」

 潤は言われたとおりに短パンの後ろのポケットから取り出した携帯の液晶パネルを見せる。一連の動きは反射的なもので、潤としては自分が意識の外の自動的なもので動いたような気がした。

「五時ね……今から急いで十五分――うーん、厳しいけど」

 潤の方にふざけたような年相応の子供っぽい笑顔を向けて、溜め息をついた。

「今の僕にできることは精一杯の努力をすることだけだ――」

 そう言ってから軽く会釈をしたかと思うと、いきなり全速力で潤が来た方の外周道に向かって走り出した。どこまで行くのか知らないけど、あのペースじゃ公園の出口まで保つかどうかだろうな、と潤は妙に冷静にそう思った。

 少年の走り方は理想的なフォームという奴で、それがまたふざけているような印象を与える。芝居がかっているようで必死さがかけらも感じられない。

(何なんだよ、全く……)

 何か誰にでもいいから文句を言ってやりたい様な気分だった。しかしあっという間に少年は見えなくなって、広場にはぽつんと座っている潤一人になる。

「何なんだよ、ほんと……」

 体中の力が抜けて、膝に手を当てうなだれたような格好になった潤は目を閉じた。落ち着こうとする時に目を閉じるのは昔からの癖だ。

 夕日に照らされた赤い瞼の裏を見ながらしばらく何も考えないでいると、冷静になるのを通り越して眠くなってきた。身体が疲れている上、立て続けに現れた変な青年と少年のせいで普段感じることの無い程の疲労感を潤は感じていた。

(…………)

 その姿勢のまま潤は自分でも気付かないうちに眠りに落ちていた。


   *


「……だからそーじゃないって言ってるだろ。俺の言うこと信じて無いのかよ?……あーそう。そんじゃ仕方ねーな、話しになんねーよ。」

 外周道路の中程、少し広くなった場所には白い壁のトイレが建っていて、その脇には赤いベンチが置かれている。携帯電話に向かって声を荒げている男はベンチの前を行ったり来たりしながら、もう三十分近く話し込んでいた。

「……え?何もそんなこと言ってないだろ。いや、それはだから――あ」

 あわてて男は相手に掛け直す。どうやら一方的に相手が通話を終わらせたらしい。相手は電源も切ってしまったようで、何度か掛け直していた男だったが、あきらめたのか後ろのベンチに腰を下ろした。

 しばらくそのまま何もしないで座ったままだったが、もう一度携帯電話を取り出すと素早くメールを打ち始めた。すぐに打ち終わると男は思いだしたように立ち上がってトイレに入る。

「……あー。我慢してたの忘れてたんだよな」

 用を足し終えた男は気持ちよさそうにそう呟くと、洗い終えた手をひらひらと振りつつ、何気なく出口の方に目をやった。

 男の動きが止まる。

 その目線の先には、上下とも黒い服を着た、男の歩いている後姿が見える。トイレの洗面所からその横顔が見えたのは一瞬だけだったが、その黒ずくめが誰だかは、はっきりとわかった。

 少し時間を置いてからそっとトイレから出てきた男は、遠ざかっていく黒ずくめの後ろ姿を見送りながら、もう乾いているはずの手をジーンズに擦り付けた。

(――何で社長がこんなとこにいるんだ?)

 その奇妙な存在感の薄さは一度でも会ったことのある人間なら間違えようがなかった。不思議さと、少しの緊張感を顔に浮かべたまま、その男、本上英和は、黒ずくめ、三倉皓一の歩き去った方向をじっと見ていた。


   *


 がくっ、と体勢をくずした潤は同時に目を覚まして、ぼんやりとした頭で地面を見る。

 目を閉じていたのはそんなに長い間ではなかったはずだ。しかし、地面の色が違っているような気がして空を見上げる。


 空一面が紅かった。

 薄雲さえもない空は見渡す限りの紅色をしていて、それに照らされた地面ごと、真っ赤な世界を作り出していた。柵の向こうの眼下の海も紅い光を反射していて、きらきらと揺らいでいる。

 静かだった。色々な音という音がこの空間から遠ざかっていったかのように。

 だから、近づいてくる足音にはすぐに気が付いた。

「あ、やっぱりそうだ!こんにちは。いや、こんばんはかな?……あ、私誰だかわかります?」

 そう語りかけてきた人影の方を見ても、赤く染まって見えるワンピースはほんとは白色なんだろうな。とかそんなことが真っ先に浮かんだ。

 疲れていたんだろうし、まだ寝ぼけていたのかもしれない。

 でも、とても自然な笑顔で返事ができた。

「こんにちは。……また会えたのはすごく嬉しいよ」

 すごくキザなことを言ってるような気がしたが、正直な気持ちだよな、と思う。

「遠くからでもすぐわかりますねー。そうだと思ったんですよ、電車で会った人だって」

 正面に立って話している彼女の笑顔はとても素敵で、これ以上のものは無いんじゃないかと思った。

「うん。役に立つこともあるもんだね、太ってるっていうのも」

 羽根は彼女の何処にも見あたらないんだけど、自然にそう思った。

「え?どうしてですか」

 他に当てはまる言葉は見つからない。

「もう一度会えないかなって思ってたから。痩せてたらここに僕がいることがわかんなかったかもしれないし」

 変だよな、そんなものが存在するはずがないし、間違いに決まってるのに。

「前向きなのはいいことですけど、枯れ木みたいに痩せてても気が付きますよー。だって見て下さい、この広場に一人しかいなかったんですよ。……でも確かに、枯れ木の人に声はかけなかったかも」

 悪戯っぽく彼女は笑う。紅く染まった白のワンピースが眩しい。

 空から降りてきたはずもないのに。

 これは天使だ、きっと。

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